息子が勉強している様子を見ていると、以前に比べて「適当に問題を解く」ということがなくなってきているのを感じます。前は早く済ませたいために適当にやったりしていたのをよく見かけていました。
適当に解くのは勉強への気持ちが向いていない証拠
「適当に答えを出してしまおう」というのは勉強への気持ちが向いていない証拠だと思います。
そういう時に無理やり机に向かわせたところで、大して身になりません。
しかし、何もしないわけにはいかない場合もあります(テスト前など)
そういう時は、やはり勉強の大事さ、今やるべきこと、やらないことによって将来どのような影響があるか、という話した上で動向を見るようにしています。
息子の場合のモチベーションは「かっこよくなりたい」「すごいと思われたい」といった可愛らしいものでもあるのですが、それでもそれを実現するにあたって「勉強」というものが大きな位置づけでるということは、理解しているようです。
こういう話は「わかっているだろう」と思うかもしれませんが、案外わかっていなかったりします。
日頃一番時間を割いているものが勉強なわけですから、やっぱり勉強させることの意味は伝え続けていく必要があるのかな、と考えています。
伝えておかないと、分からないままやらされる感覚になっては、モチベーションの低下に繋がってしまうかもしれない、と思えるからです。
ADHDの特性から急いでしまう場合も見られていた
また、「適当に解いてしまう」という背景には「早く終わらせたい」という気持ちも散見することがわかります。
簡単に言ってしまえば、目の前の問題に気持ちが向いていないから、と言えます。
気持ちをそちらに向けて集中することができれば、解くことが面白くなる場合もあるし、急いで解いてしまいたい、という気持ちにもならないのではないかな、と考えています。
この早く急いでしまう、という点については、薬物療法の調整があったことで随分と改善されたように思います。
最近では頭の回転が早すぎて今この問題を解いているのに頭は次の問題を考えている、といったような思考過多の状態が見られなくなりました。
「もっと落ち着いて!」
と言いたくなることが減っているので、やっぱり変わってきたんだろうなあと思います。
黙ってて欲しい、ヒントが欲しくない
小学校の頃は分からない場合はすぐに、「わからない、教えて」と一瞬も考えずに私を頼ってきたり、ことあるごとに「ヒントを教えて!」と言うばかりしていた息子です。
それが最近では、
「今考えているから黙ってて!」
「ヒントはいらない。自分で考えるから」
と言うようになってきました。
こうやって改めて考えてみると以前とは真逆の状態になっているなあというのが分かります。
本当に、この子には「考える」ということ事態が無理なのではないか、脳がどこかおかしくなっているんではないか、私の接し方などが悪かったんだろうかとか随分悩みましたが、少しずつ少しずつ考える勉強を始め、徐々に身についていくんだなあというのを実感しています。
もちろん、中学受験時の算数でかなり鍛えたという影響も大きいのだろうと思います。
受験は失敗したけれど、知識や思考力の大きな貯金ができたので、今思うとよかったんだなあと思います^^
人は変わっていくもの、予想通りには進まない
どうしても私は、息子にできることが少なすぎる、という目で見てしまっている面があって、「このままだと将来はこのようになるだろう、できない部分はいつまでもそうかもしれない」などと考えてしまいがちなところがありました。
でも、絶対に克服できなかったであろう課題も、少しずつ改善傾向にあるわけですから、人って分からないものだなと思います。
今できないから、今後もできないだろうな、と予想通りになることもあるかもしれませんが、そうでない可能性だって多いにあるのだな、と思いました。
そうであれば、私の予想というのはひとまず横において、とりあえずは働きかけてみる、そのあとはもう息子次第なんだなあと思えてくるのでした。
そう考えると将来は心配というよりも、どのように進むか分からない、なんだか楽しみなのかもしれない、と思えてきます。
今の「一歩先」程度をスモールステップで歩みつつ、見守っていきたいなあと思うのでした^^
最近家のお茶をルイボスティーに変えています^^
抗酸化作用が高いようなので、期待です。
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