「子供に対して察しの悪い親になる」というのは心がけていることでもあります。良い意味で自分でやらせること。これは、言葉の発達にも関わるのかなと思っています。
私自身を息子の小さい頃から振り返ると、日頃から色々な訓練・習い事をしていたからというのもあり、先回りしてあれこれと手を焼きすぎていた部分もあると思っています。
「甘えさせてあげる」と「甘やかす」は違う。
これをどこかで教わったのを記憶していますが、思えば先回りして「甘やかす」ことをしてしまっていた自分もいて、反省したのも覚えています。
そのために心がけているのは、できるだけ「察しの悪い親」になること。
親が察しが悪く、先回りをしてくれない場面をいくつか作ることで、適度な負荷をかけていくこと。
混同しやすいかもしれないのですが「放置」とは違うのです。
手を全く貸さず、「全て自分でやりなさい!」といっても、発達障害の子はいつまでたってもできるようになるわけがないと思います。
適度に手をかけたり離したり、子供の様子を見ながら慎重に具合を把握していく。
これが必要なのだろうなと思っています。
息子の場合であれば、「会話」と「勉強の準備・計画」がこれにあたります。
生活面のことは休校中や夏休み期間に試してみて、ある程度の「やり方」がわかれば身につくことがよくわかりました。
正しい言葉遣いではない会話は、理解できても「わからない」と言う
息子は理路整然と物事を説明するのが苦手です。
好きなゲームの話とか学校の話などでも、自分が考えていることが中心にあり、それを周りもわかっているものとして話すので、話題の中心が飛んでしまってついていけなくなることが多いです。
それでも、親としていつも接しているので「ああ、あの話だろうなあ」となんとなくわかるのですが、話題が飛びすぎている時には、厳しく理解できない、と伝えるようにしています。
「察しの悪い親になる」という点は、息子においてはこの「会話」を一番重要視していると言ってもいいです。
しかし、理解できない理解できないと伝えるばかりでは、「もう、いいよ!」と話すこと自体をシャットダウンしてしまうことにもなりかねません。
なので、うまく説明できた時やわかりやすく伝えられた時に、褒めることを決して忘れないように。
うまくできたなあ、という小さな成功体験を多く積ませてあげることで、「もっと頑張って離してみよう」と思ってくれたらいいなと思います^^
適度な負荷がないままでは、なかなか自主的に成長していかないのが息子のようなタイプだと思っています。
いつか言われたことですが、
「この子たちは、やらなければできないままです」
これがずしーっと今でも胸には響いているんですよね。
逆の発想をすると、「やり方を覚えたらできるようになることも多い」とも言えると思います。
息子に対して過度な期待は禁物ですが、適度な負荷を楽しみながらかけていく、そんな演出はこれからもずっと続けていきたいなあと思っています。
「察しの悪い親になる」という点について、三森ゆりかさんの著書で詳しく書いてくださっています。
日頃の接し方など、かなり参考にしています^^
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