発達障害の発見と経緯

息子の発達障害がわかった経緯

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現在小学校2年生の息子のことです。

息子の経緯

2歳半頃から保育園へ。
3歳くらいで、手がでやすいなどの問題があることは先生から相談があったが様子見。
4歳で、地元の小児科にて、発達の遅れが気になると言われる。
積極的、社交的な子だったが、積極奇異型の自閉症かも、と言われつつも、診断としての当時は広汎性発達障害。
他の病院で知的障害ギリギリ?(IQ70程度)と言われたこともあったけれど、検査する人によって数値が変わり、おそらく全体的に1年程度の遅れではないか、とのこと。
6歳の時に、診断がADHDのみに変わる。
6歳の頃の発達検査以後、検査していないので今は数値が違うかもしれません。
息子のことが気になりつつ(というより、他害などのストレスで私が精神的にまいってて、あまり息子に向き合ってなかった)、小学校入学。
入学時は病院の先生から支援級を進められて、就学診断を待たずして学校にはお願いに行った。
結局、支援級の授業や学校の方針と合わず、また息子の学力も追いついてきたこともあり、2年生からは通常学級在籍へ。
(学校とは色々ありましたが・・・)
2年生の間も学校からお呼びがかかることなく、3年生もそのまま通常学級へ。

発達障害への認識や療育への取組みについて

私が真剣に息子のことを取組み、発達障害のことを調べ上げ、様々な手法を試したりなど始めたのは、小学校入ってからです。
それまでは息子が気になりつつも、仕事優先であまり向き合っていませんでした。
(心の中で、どうにかなるさ、それほど他の子と違わないし、という想いがあった)
小学校一年生の授業参観、あまりにも周りと違う息子に愕然としたこと、支援級の授業がのんびりすぎて、このままここにいたら普通高校も難しくなるのではないか、、、と息子の将来が心配になった時に火がついたように息子に向き合うようになりました。
ペアレントトレーニングや様々な書籍、対応方法や息子への理解。。ほんと苦労しました。。
息子に有効だったことは、すごく地道なものなのですが、「読み・書き・計算」です。
学習が追いついていくほどに、落ち着きが出てきたような気がします。
また、不可欠なのが「運動」!
運動で身体が発達していくに連れて、問題行動もへってきたような感じがしました。

その後の息子のこと

・苦手なこと
手先の不器用さがとてもあります。(あやとりが苦手、文字が下手、読むスピードが遅い、など)
手先の問題と関連していますが、眼球運動が遅いようです。
また、おそらく協調運動障害を併発して持ってるのではないかと思うのですが、リボン結びが苦手、片足立ちが長くできない、縄跳びが苦手、などがあります。
学習面では文章問題が苦手、読みが遅いこともあり、ひねったような考える問題はとことん苦手です。
・得意なこと
昔から立体物を作るのが得意で、これだけは保育園の先生に褒められました。この年でこんなものを作る子は見たことがないと。今はレゴが大好き。ブロックに触らない日はありません。
年長から始めた公文が合っていたようで、小学校に入ってから欠かさずプリントを続けています。おかげで算数の計算はほんと得意です。前々から目指していた、3学年先の上位進度者に入り、トロフィー?がもらえるようで本人もウキウキです^^
あとは水泳が得意です。

これからの課題

4月からは3年生になるので、高学年になって困らないように、不器用さの改善や学習面でのサポートなど、続けていきたいと思います。
うちの場合は、目の問題もあるので、主軸とするのは、このような所かなあと考えています。
・学校の予習
(教科書準拠の通信や、教科書を活用)
・ビジョントレーニング
(書籍や、カルタ、パズルなど)
・体幹を作る運動、遊び
(トランポリン、バランスボール、ツイスター、ボルダリングなど)
・国語力をあげるための取組み
(作文、読書、文章を作るプリント)
ソーシャルスキルも気になりますが、これは経験から学んでいく所かなあと思います。

とにかく、やらなくてはいけないことは分かっている!ので
問題点が少しでも改善して、過ごしやすく快適な3年生の生活になるように、親としても応援していきたいと思います。

ABOUT ME
りりん@マナハム管理人
高校生の息子を育てる母。勉強方法や子供の接し方研究中。 息子(最低評価で万歳の通知表→偏差値60程度の進学校に合格)子供のADHDに困り果てた小学生時代を経て、中学校からようやく子育てが楽しめるように。 Webのお仕事20年程度。