息子は発達障害のADHDを持っていますが、私と主人は多いにその特性を理解しています。しかし、薬物療法がよく効いているのもあり、周りにはなかなか理解されません。
学校の先生は知識もあるので、理解してくださっている様子ですが、困るのが義母など、身近なところの存在です。
もちろん、理解してもらえないのを無理に、とは思いません。
しかし。これが他人ならそれですむのですが、身近なところでそういう存在の方がいると、悩みもつきません。
平均の立ち位置にいられるのは、精一杯頑張っているから
息子は学業も平均的な立ち位置にいます。
英語と数学においては中の上くらい。他の科目はそれなり。
ただ、これは私が必死で息子につきっきりで勉強に取り組んでいるからであって、そもそも息子一人の力に任せたとしたら、落ちこぼれになるのは目に見えています。
しかし、もっと頑張ろうね、義母はもっと頑張ればもっと上にいけるよ、と言われて、久々にカチーンときてしまいました(汗)
いやいやいや・・・十分に息子は頑張ってるよ!!!
そうじゃないんだよなあ。。。。そもそも、根本的に何もわかっていない・・・!!何も知らないのに好き勝手にいって欲しくない。。
義母の言い分によれば、聴覚過敏も気合いで治せ、になりますからね。。。
毎回会うたびに、私のストレスはMAXです。。
頑張っている子に「頑張ってね」は言ってはいけない
私のバイブルとも言える、「あなたの子どもはなぜ勉強しないのか」にも書かれていますが、「頑張ってね」という言葉は、裏を返せば「頑張っていないんだから、もっと頑張れ」と言っていることになり、子どものやる気を奪っていくことになるのです。
そもそも、義母も義父も、息子の発達障害を「私の考えすぎだ、そんな子は昔からいた、甘やかしているだけだ」という捉え方をしているのが話しているとよくわかります。
たまにしか合わない、普段から近くで見ているわけではないから、どれほど他の子と違うのか、わからないのだと思います。
普通に見えるよ、という言葉の重さ
これは言ってくださる方からすると、「障害なんていうほどではないよ、普通の子と変わらないよ〜」と安心させたくて言ってくださっているんだろうと思います。
でも・・・・同じようで全然違う、ということは何度か接しているとわかってきます。
普通の子が普通に覚えてくれるように、「勝手に覚えてくれる」ということがありません。
全て何においても、手取り足取り、フォローをしていって初めて身につけてくれるのです。
とってもとっても面倒だし大変な苦労をしているけれど、そのおかげで、いわゆる「普通」に見えている、というところがあるのです。
もし「普通」に見えるからといって、何もしなかったら??私たちの子供は「できないまま」になるんです。
ただ、できるようになったときの喜びは計り知れません。
そういう小さいことに喜べる、という幸せを息子は持ってきてくれているんだなあと思います。
理解を求めるのは基本的に無理、とあきらめる方が精神衛生上に良い
理解がなくて毎回会うたびにストレスになってしまう義母との関係ですが、この人にわかってもらうことは無理だろう、と思う方が楽だな、と最近思うようになってきました。
義母からしても、息子のことが可愛くないわけではないけれど、どうしても教育熱心なあまり、もっと頑張れ!と言い続けてしまうんでしょう。
ただ、ちょっと距離は置き続けていきたいかなあという気持ちは変わりません。
本当に愛情があるのであれば、どういう結果を残しているにしろ、無条件で息子のことを愛してくれるのではないか、と思えて仕方ないのです。
今日はストレスから愚痴のような記事になってしまってすみません^^;;;
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