発達障害の子を育てるのは、並大抵の苦労ではないと思っています。中学一年になってだいぶ手がかからなくなった息子でも、小学校の頃は本当に大変でしたしあの頃は何度親子で泣いたか数え切れないくらいです。
見えない障害なので、周りからはわからない
息子の場合は、今でもできないことは多くありますし、周りに追いつけていない部分も多々ありますが、それでも小学生の頃とは雲泥の違いと思えるくらいの成長を遂げることができたと思っています。
しかし、未だにやはり学習障害的な要素はあるし、発達性協調運動障害もありますから書字や運動、美術の課題などでは苦労している面もあります。
そんな息子ですが、周りからは障害があるようには見られておらず、未だに私が大げさなだけでしょう、などと言われたりすることもあります^^;;;;
当たり前のことができない場合がある
息子と数日くらい一緒に暮らしてみたらわかるのでしょうが、当たり前のように他の子ができることが、できなかったりします。
「え?どうしてこんなこともできないの?」と思われること請け合いです。
例えば、紙束のファイル整理であっても器用にこなすことができません。
縦横を揃えてトントンと綺麗に整えて、ひとつずつ手際よくクリアファイルに入れていく・・・それだけの作業ですが、他の人よりもずっと長い時間がかかったりします。
世の中の人は普通の人であれば、こういう作業は「当たり前」のようにできることですから、この不器用さを見たときに「え?」と思われるはずだと思います。
これは一例ですが、このようなことが他にも多くあるのです。
身近な夫や母でも本当にはわかってもらえない
今は息子の育児に携わっているのが100%私のような状態です。
主に勉強面のサポートを全て担っているわけになりますが、そこでもそういう「え?ここでつまづくの?」という苦労が色々あるわけです^^;;;
この大変さ・手間のかかり具合については夫でさえもあまり理解していないんだな、と思うことがあります。
身近である両親や義父母でさえも、本当はわかっていないな、と思います。
でも、もうそれは仕方ないなと思うようになってきました。
多分、永遠にわかってもらえることはないんだろうなと思います。
私の支えがあって、息子が「もう心配ないね」と思ってもらえるような状態になっているのだとしたら、それは私も頑張った甲斐があったのかもしれない、と言い換えることができるかもしれないからです。
話を聞いてくれる人、ストレスの抜ける場がとっても必要
一方で、私の気持ちや大変さはわかってくれる人がいない、という辛さもあるわけです。
そこのストレスの逃げ場として、今は息子がかかっている主治医に別で私だけの時間をとってもらい、ぶちまけるようにしています^^
時には実家の母にぶちまけることもあったりします。
こういう場所があるおかげで、日頃の疲れが少し軽くなったり気持ちを打ち明けることができるおかげで、明日もがんばろう、と思えると思っています。
本当に、いろいろな人に支えられて頑張れているんだなあと思います。
ありがとうございます^^
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