小学生時代は毎日のように先生に叱られてばかりの息子でした。今でも、時々役目が果たせてなかったりで注意を受けることがあるようです。
小学校時代は叱られても暖簾に腕押し状態
小学校の頃は学校で何か叱られたり注意されたりしても、全然言うことがきけず、何度も何度も同じことを繰り返し言わなくてはならない状態でした。
本当に、毎日毎日イライラしたり情けなくて泣いたりして(私が)過ごしていました^^;;;
それが6年生の後半あたりくらいから少しずつ回数が減るようになり、徐々に叱られた内容についても定着していくようになりました。
中学に入ってからも、何度か同じ内容で叱られたりしたことはあったようですが、最近は少し様子が変わってきています。
それは、同じ「注意された」という事実があっても、受け止め方が以前とは全く異なっている、という点です。
注意欠陥のADHDでも気をつけることができるようになってきている!
前は、注意されたとしても、そういう事実があっただけ、という感じで右から左に聞き流しているんだろうか、みたいな状態でした。
それが最近は、ひとつひとつの注意を、すごく重く受け止めるようになってきていると感じます。
「先生に注意されたくない!」
この気持ちがとても強いんだろうと思います。
ADHDの息子には、そもそも「気をつける」ということ自体が難しいわけですが、怒られたくない!という気持ちの方が優っているのか、怒られないために気を張る、ということができてきているように見えます。
年齢的な成長や治療の効果もあるが、基本は本人の気持ち
ちょうど落ち着いて来始めた小学校6年生あたりといえば、ADHDの薬物治療を開始した頃だったので、もちろんその効果もあって、吸収しやすい・定着しやすい状態になった、ということも考えられます。
あとは、年齢的な成長もあると思います。
周りとの違いや差を気にするようになったり、責任を果たそうとしたり。
そういう成長も1学期の頃よりは今の方がずいぶん成長したなあ、と思います。
とはいえ、やはり「こうなりたい!」という本人の気持ちが根底にあることが一番なのだなあと思います。
どうも話を聞いていると、先生に叱られたら周りからその姿を見られるのが嫌だ、先生に嫌われたくない、周りの子から問題児だと思われたくない、などの理由があるみたいです^^
要は「かっこよく見られたい!」という思春期の男の子らしい可愛いプライドみたいなものなんですが、それでも十分なモチベーションだと思います。
思い返して見れば、私自身、勉強を頑張っていた時期があったのですが、その時は周りから「すごい!」と言われたり思われたりするのが嬉しくてやっていたようなものでしたから(笑)
発達障害でも発達しないわけではない。小さな成長を見逃さない。
発達障害を持っているからといって発達しないわけではないんだなあということがよく分かる出来事でした。
発達障害を持っていると、定型の子と同じようにスムーズな成長曲線を描くわけではないのでしょうが、だからこそ小さな成長を時々見つけたときは、嬉しくなります^^
これから学年が上がっていくに連れて、勉強や学校の課題など心配も色々ありますが、その中でも小さな成長を見逃していかないようにしたいな、と思うのでした^^
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